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金剛禅 量子の精神場 入門についての思考 3回目 Facebook未公開記事

金剛禅→量子の精神場→道訓

 

金剛禅=礼拝詞

金剛禅=誓願

 

礼拝詞とは信仰の告白である。

誓願とは修行の信念である。

 

礼拝詞→理想郷(→豊か、かつ、平和な世界)

 

誓願→理想郷(→自己確立)

 

金剛禅 ➡️ (修行) ➡️ 聖句(➡️ 拳禅一如) ➡️ 信条( ➡️ 道訓) ➡️ 理想郷

 

◎金剛禅の修行は、

拳禅一如の枠組みの中から外へ出ないようにしなければならない。ぜったいにこの枠を踏みはずしてはならない。

 

◎金剛禅の実践理論とは、

聖句と信条と道訓である。聖句と信条と道訓は、金剛禅を実践するためのロジックである、と理解する。

 

金剛禅のロジックのうち、

聖句は、実践理論の原則である。

オプションの無い原則であるため、例外が無い原則だと考えるのである。

 

金剛禅のロジックのうち、

信条と道訓は、金剛禅のロジックの適用である。

 

原則は適用すること。

原則は自分に適用すること。

つまり、

聖句は適用する事である、

聖句は自分に信条と道訓をする事である。

 

自分とはデータと振る舞いを持つ存在である。

信条をする、とは信条を用いて聖句を適用する、ということである。オブジェクト思考でいうところの自分クラスの信条メソッドだ、と理解すれば足りる。

 

道訓をする、とは道訓を用いて聖句を適用する、ということである。理解の充実は↑のとおりで足りるものである。

 

したがって、

聖句を自分に信条し、道訓する、という設計はオブジェクト思考で行う、となりる。

 

オブジェクト思考で行う、とは設計と実行という意味であり、ダーマをシステムである、とわかれば、稼働中の宇宙というシステムを自分クラスのオブジェクトを生成して新たにインストールし、新たな宇宙の機能を実行することだ、と理解することになる。

 

このことをわかりやすく書けば、

武技として少林寺拳法を学ぶこと、

聖句や信条、道訓や礼拝詞などは暗記すること、

学んだことは理想郷建設のために使うこと、となる。

 

武技として少林寺拳法を学ぶことは、拳禅一如のうちのである。

禅とはそのまんま金剛禅のことで、動禅である。座禅は静禅である。よって

使い物にならない禅は動禅ではない、とわかれば良い。じっさい、座っていても人気は出ないのである。カッコ良い拳士なら、座っていないものだ、とわかれば良い。

 

武技と金剛禅を修行するとどうなるのか? コレはすぐわかる。

 

 

 

したがって、

金剛禅のロジックを実践するということは、

金剛禅の修行を実体験するということ

になり、

金剛禅の修行を実体験する際には、

聖句を信条し、道訓すれば

現実が理想郷に変わる、と。

 

現実が理想的な変化を起こすためには、

正しく原則を適用しなければならず、

したがって、

正しく原則を、

正しく量子的に、かつ、物理的に

適用すると

現実は理想郷に変わる、

こういうことなのである。

 

金剛禅を学ぶということは、

正統日本伝少林寺拳法に入門する、

ということである。

 

入門に際しての

さまざまな自分に起こる変化を

自覚すれば、

入門した以降のことを考えなければいられなくなる?

楽しく愉快だからである。

 

少林寺拳法は、

単なるスポーツではなく、

宗門の行である。

 

考えながら

身体を改造し、

思考を改造する、

そういうことになる。

 

したがって、

金剛禅を修行する際には、

正しく修行しなければならない。

 

間違った考えや間違った変化によっては、

自分や社会や宇宙が大損をすることになるからである。

 

修行の方法を自ら間違えば、

自滅し、

人民の隙である混乱状態を狙う詐欺師に襲われる。

 

昭和21年以来、

日本人は

混乱期になれば狙われ、

大損をさせられてしまってきた。

 

ここで個人の財産とは何か? を記す。

 

個宝とは、

個人の持つ財産である。

 

財産とは

生命、

身体、

金員、

有価証券、

不動産、

暗号通貨をはじめとする有価なデータ、

その他であり、

人脈なども財産に充たるものである。

 

個人的な財産を失えば、

悪との戦いが極めて不利になる。

 

けっして

悪に財産を奪われてはならず、

奪われないためには

正しい日本人でなければならず、

正しい日本を自覚するためには、

日々の修行を

正しく行い、

原則を正確に

事実に適用させなければならない。

楽しく愉快なことだからである。

 

したがって、

個宝とは

金剛禅を修行し

自己確立のためと

豊かで平和な世界を作るための

基礎である、ということになる。

 

金剛禅の修行の成果を

適用させる目的物であり、

金剛禅は量子、物理の2つの分野の諸学問で証明される事実を

理想的な事実に変えるための

修行が必要な考えと行い、

そして、

原則と適用方法の集約である、ということになる。

個人の持つ財産とは、自分のための集約としなければならない。

個宝とは

解析すれば、

何に因るものか、が問われるものである。

そこで、正統少林寺拳法道ならどうだ? というハナシなのだがどうであろうか?

 

 

個人の財産→金剛禅→豊かな財産、平和な財産=財産とは理想郷

 

理想郷には個宝と宇宙宝がある場所、ということになる。

 

このロジックの→の意味を知るためには、

実際に入門して学ばねばならない。

 

なぜなら、

金剛禅のフレームワーク

支部や道院にしかないからである。

 

フレームワークとは何か?

修行時に教えられ、

修行者が気がつくすべての

正しい変化の因子を

正しく証明するための枠のことである。

 

 

 

 

考えを整理し、

改造するためには

けっして枠を踏みはずしてはならない。

 

修行者の誤りは、

金剛禅の指導の責務を持つ

正しい指導者である

支部長たちや道院長たちが行う

修正でしか修正できない。

 

コレが金剛禅のフレームワークである。

 

フレームワーク

優れた機能を持つ場合なら、

人類に愛される枠になる。

 

たとえば、

TomcatのWeb Server用のフレームワークなどは

人類に愛されるフレームワークの1つである。

 

Springもそうであるし、

大手企業が独自に持つフレームワーク

優れた機能を持ち、

目的に合うだけではなく、

安全な高機能を

簡単に利用できるようになっている。

 

 

 

 

コレらのIT関連のフレームワークは例であるが、

金剛禅のフレームワークを考えれば、

拳禅一如には何が必要なのかがわかる例になるであろうから、

理解のためにここに挙げておいた。

 

 

 

 

少林寺拳法は、誰にでもできる。

片腕が無くてもできますか? といういまは著名で、引退はしたが愛される直弟子が、かつて宋 道臣に質問をしたとき、

片腕がなくてもできるぞ

達磨さんのように何度も起き上がることができる・・・

 

と返答をもらい、そのとおりになったのであった。錫杖伝の第一人者として有名で、引退した後はDVDで観ることができる8段の先生である。名前は調べれば誰でもわかるほど、少林寺拳法内では有名な先生である。道場を1人でゼロから作ってしまうパワフルな先生である。

 

 

 

 

フレームワークはどこにあるのか?

 

なぜ正統少林寺拳法に入門するのか?

 

正統日本伝少林寺拳法とは個々の財産にとって何の機能を与えるためのものか?

 

 

 

 

財産はデータだけではなく、振る舞いも持つオブジェクトである。

 

データと振る舞いを安全なパッケージにするためにはどうすれば良いのか?

 

そもそも運用可能な財産は、

金額などのデータを

増えたり

減らしたりする、

経済環境においての

個々の人たちの事情にあわせた

振る舞いや

法人や

NPONGOなどの

組織の事情に合わせた振る舞いをさせれば、

豊かな社会と

豊かな個人ができる、

こういうものである。

 

社会と自分を

損なうような使い方は

ぜったいに、

してはならない。

大損するからである。

 

だが、

悪は、

社会と個々の人たちを

損なわせようとする。

 

そのため、

拳士はみんな

宝は正しく運用し、

過ちは正しく修正し、

騙されないように護り、

正しく運用していかねばならなくなる。

 

つまり、

正しく運用すると

宇宙ロジックが

ずっと同じ観点、

同じ地点ともいえる

意味を回転してしまうことになるが、

フレームワークを用いて、

思考の堂々巡りを止め、

無駄な動きを排除し、

右往左往せず、

目的に辿り着くまで

護り、

原則と適用方法を知る、

これが運用の必要性の理解によってもたらされる利益である。

同じことをエーエー言い続けてやめられない場合、宇宙は崩壊するであろう。

 

 

 

 

けっきょく、

宋 道臣はコレを簡潔に金剛禅、と名付けることで、

無駄な行動をも

日本人から排除することに

成功を収め、

いまがある、ということになるのである。

 

 

 

 

同じことをエー、エー言うようになったらもうダメなのである、という意味は、

金剛禅を拳禅一如のノリを外さず、聖句を信条と道訓すれば良い、という意味である。

 

何度も繰り返すようだが、同じものはこの世にはない、という意味を大量生産な観点から解釈すればOK。違いがわかれば良いのであるからである。

 

 

 

 

人は、わかれば繰り返さない。

 

 

 

 

名詞に振る舞いを持たせると、

おかしな日本語にはなるが、

じっさい、

オブジェクト思考では、

名詞のクラス名を持つクラスに振る舞いを持たせ、

データも持たせて

巨大なシステムを完成させている。

 

このような例の一つである、と考えれば

イチイチ悩むことはしなくて良くなる。

拳士にバカはいなくなる。

 

財産が増えた

でも良いし、

財産が増えたをした

でも良い。

 

財産クラスに

増やす()

という名前のメソッドがある、と思えば良いだけの話だからである。

 

必ず、悪は言いがかりをつけられなくなる時代なので、命名と品詞は説明に加えると悪を罵倒することが正しくできやすくなるので、書いておいた。

 

 

 

 

文責→私

 

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◎聖句

己こそ 己の寄るべ、

己を措きて 誰によるべぞ、

良く整えし己こそ、

まこと得がたき寄るべなり。

 

自ら悪をなさば 自ら汚れ、

自ら悪をなさざれば 自らが浄し、

浄きも浄からざるも 自らのことなり、

他(の)者に依て 浄むることを得ず。

🍙˚✧₊⁎❝᷀ົཽ≀ˍ̮ ❝᷀ົཽ⁎⁺˳✧༚