サイバーセキュリティを高めながら心の病気を治し中のブログ

私が発見したサイバーセキュリティに関する情報を報告するブログで、心の病気を治そうとしている情報を公開するブログです

金剛禅 秦野道院 解説から実体験を考える

https://hadano.kanagawa-shorinjikempo.org/%E5%B0%91%E6%9E%97%E5%AF%BA%E6%8B%B3%E6%B3%95%E3%81%A8%E3%81%AF/%E9%87%91%E5%89%9B%E7%A6%85%E3%81%A8%E3%81%AF

 

ここから引用

金剛禅とは


少林寺拳法の教えは、

とりもなおさず

少林寺拳法創始者宗道臣の教えですが、

その宗道臣の教えの根本は、

仏陀釈尊の正しい教えと、

これを正しく継承した菩提 達磨の行法を

現代に生かすことにあります。

 

即ち、

金剛禅とは

死後の安楽や現世利益を説くのではなく、

生きている人間が、

少林寺拳法の修行を通して、

まず己をよりどころとするに足る自己を確立し、

そ して他のために役立つ人間になろうという、

身心一如・自他共楽の新しい道

なのです。

 

なお、

金剛禅という名称は、

仏教の守護神とされる

仁王尊の神名に因んで、

阿吽・陰陽二体の金剛神が象徴する無限・無量の宇宙の大調和

をイメージして

宗道臣 が名付けたものです。

 

ここまで

 

 

「死後の安楽や現世利益を説くのではなく」

について私は再び思考を試みた。

 

量子の精神場から伝えられる声は、脳で覚知するものである。音声ではなく閃きである。

 

魂で覚知するカタチだが、思考したくても音声ではないので考えることが不可能であるため、閃きとしか言いようがないのだが、ソレでもハッキリした根拠を実体験していれば伴うので、本人にはハッキリ内容がわかるものである。

 

 

 

 

神からのメッセージとか守護神から聞くメッセージ、などというものはすべて魂、つまり新皮質が覚知したものである。ふだんの行いが閃きを生むのだが、この閃きは分析という思考を続けていれば誰でも持つことができる魂の成果物である。

 

 

 

 

この閃きは、死後の世界を考え続けていれば、その考えで分析した実体験の果てに得られることになる。いまのは何だ? という覚知体験は、けっきょく、蓄積した思考が分析という思考活動によって記憶されたものであれば、そのような方向で解釈されやすくなるため、わけがわからない覚知内容、ということにならない。高度に専門的な知識を学んで思考することと、そうではない知識を学んで思考することとは大差はない。何も学ばないで覚知しても正確ではない。そのため、前者2つとは大差がある。

 

 

 

 

閃きは、起きている時に得るもの。夢は思考の成果の1つ。閃きは体験中の事実を分析すると得られる、というもの。

 

 

 

私はなんだかわからないままに少林寺拳法の大学の部活動に参加して2ヶ月ほどで、護身のためのシナリオがあること、シナリオの価値の高さに気がついた。この気づきは突然わかった、という閃きによるもの。少林寺拳法の価値の高さは高校時代に知っていたし、どの格闘技をやろうか悩み、真剣に比較して選んだ、という経験があったので、このような閃きを得たのであろう、と私は考えている。せっかく閃いても、低い価値を感じさせる閃きであれば、忘れてしまう。私の場合は、殺されないために得なければならない強さ、という点で価値の高さに気づくことができたから良かった。

 

 

 

3段を得て、しばらくしてから、高校時代までの自分のしたことは少林寺拳法の上達に大きな役割を果たすように時系列に整理できることに気がついた。些細なことでもすべて強くなりたい、という気持ちからしたことなので、強くなるための筋の通った18年間になったわけである。迫害を家族や社会から受け続けてきたので強くなりたい、と自然に思うようになる。この結果が3段を得させたことになった、と私は考えている。

 

 

 

 

2012年から、遠隔地から身体内部で音声を鳴らす殺人事件に巻き込まれているが、強くなりたい、という身体は遂に遠隔地からの音声攻撃を跳ね返すまでに回復してきた。遠隔地からの音声攻撃は、身体を破壊する攻撃を伴っていたため、回復さえすれば必ず跳ね除けることができる。

 

 

 

自衛隊内部の資料を探すこともこの遠隔地からの音声攻撃に対して行われている。コレは2018年のこと。未だに犯人はずっとこの攻撃を続けている。

 

 

 

 

この攻撃は、腰を攻撃し、膝と後頭部に空気を遠隔地から送り込む攻撃である。頷くだけで後頭部や膝に空気を送り込む犯人がいる。道路上で意味もなく頷く動作をする者が殺人に実行着手した者である。

 

 

 

 

金剛の身体に改造することは、正しい閃きを伴う思考活動に通じる。それまでの期間に得たすべてが強くなりたい、という気持ちから発していれば成長の速度は速い。

 

 

 

 

少林寺拳法を修行する場合は、強くなりたい一心で入門までを過ごし、少林寺拳法の価値の高さを自分にとってどれほど高いのか? を知れば、思考、閃きが努力の成果をさらに高める修行を実現するのである。たとえば、筋肉が速く成長し、強くなる、など。

 

 

 

 

日本人は戦後の混乱期に三国人に騙され、敗戦後は強くなりたい、という気持ちからスタートした。混乱のなかで思うことは、敗戦による惨めさから生まれるこの気持ちであろう。何がなんでも勝つ、という気持ちが日本人を敗戦の廃塵から立ち上がらせている。豊かになるにつれ、この気持ちが弱くなっていることを嘆く人もいた。

 

 

 

 

この気持ちは肌身で得たく思う、幸福な未来が描けなかったことから発している気持ちである。つまり、魅力的な未来を描けなかった大人がいて、ハングリー精神を持てないままになった子供の世代が続いて、この結果、日本の勢いが次第に衰えてしまった、こういうことであろう。

 

 

 

 

この変化は、バブル経済を終わらせた公務員や、その後のアル・カイーダによるテロなどによって起きることになる。

 

 

 

 

バブル経済はいくらでも日米英が政治的に協力し合うとこで調整可能なものであった。わざわざ破壊することはないもの。マーケットを破壊してはならない。

 

 

 

アル・カイーダによるテロは、物理的な捜査では証拠がないテロとなったが、量子的な捜査、推理などによって明らかになっていく。この過程で多くのビジネスが崩壊の危機に瀕していく。

 

 

 

 

インターネット革命は、コレらの混乱から立ち上がるためにも必要である。今でも革命は続いている。そのなかで、確かな未来を描くためには何が必要か? を考える勢いが生まれてきた。未来のために必要なことは、古すぎる考えである死後の世界の幸福を考えたり、現世利益を考えたりすることではなく、物理的に実現する願望の成果物を得るための考えである。

 

 

 

 

バイオセントリズムをよくわからないままに引き寄せの法則を著す本や、願望実現のためにバイオセントリズムから脳科学を利用することが可能だ、と言わんばかりの考えがあるなか、私は、金剛禅やキリスト教福音主義があり、厳しく自己を鍛え抜くことがなければ量子の精神場から物理的な実在に変わる変化は無い、と主張してきた。

 

 

 

 

金剛禅の教区で語られない不思議なことがたくさんある。座禅を組んだままに数メートル上の鳥居にジャンプする坊主の話などもあった。コレらが堂々と語られる教区は無い筈である。なぜなら、伝えるだけの価値が拳士にあるかないかにかかる判断があるから。わかる人には信じてもらえる話は、いっさいが嘘に変わる可能性さえある。だから、話してわかる場合以外には話せない話は話さないのである。

 

 

 

 

Wikipedia少林寺拳法のページには、静と動を同時に行う禅、などというウソが書いてある。普通の人は座ったり、座禅をすれば動けなくなる。身体を金剛禅で改造したらどうなるか? 身体を改造するためには厳しく激しく少林寺拳法で鍛えなければならない。ソレが無い、または足りない人が何を書いてもいっさいがウソになる。

 

 

 

 

私が上段拳士から聞いた不思議な座禅のジャンプの話は、バンドウ流を続けていけばできる、という意味であった。このような事情が実体験である人には真実になる話は、真実にする話でもある。ウソの上に重なる真実の話はすべてウソであるから、教区では語られない話という扱いになる。当たり前の話である。

 

 

 

 

このロジックから考えると、秦野道院の解説は意味が深い解説だ、とわかるようになる。他の道院でも同じような解説がある。すべての道院の解説は興味深く読むことができるので、私は興味を強く惹かれたのであった。

 

 

 

 

また、世間に流布されるウソを見破る力がまだ普通の人には無いままである。量子の精神場に関するバイオセントリズムの考え方だけでは未来はつくれない。事実に変える力は無い。にもかかわらず、できる、というウソが多すぎるので引き剥がしの法則を持てば良い、と私は普通の人たちに向けて考えをこのブログで発表することにした。量子の精神場を経由して願望が実現するためには正義が必要である。その正義は人の質の高さによって内容が決まる。正義は普遍的な正義があり、同時に最新の正義を加えて進化させて更新するものでもある。正義を更新するためには平和を守ることが必要。治安維持活動がソレである。武装した部隊と少林寺拳法の達人が戦っても勝敗は目に見えている。武装した敵に対しては武装した軍隊が対応しなければならない。正義が負けることはあってはならない。必ず勝たねばならないのである。正義を更新するために、である。

 

 

 

 

ヨハネ福音書をシュタイナーは西洋向けの人智学の解説で重要な扱いとした。確実な未来とはどうあるべきか? の答えをヨハネ福音書の中に見つけたからである。人智学が考える幸福な未来とは福音書にある、というわけである。

 

 

 

 

金剛禅では、強くならないと正義が更新されなくなる、という考えがある筈だ。強くなければ必ず人を騙すようになるからで、不正を犯すと寝ているだけで正義を得るため、睡眠によって悪党は滅ぶことになり、多くの人の共通の願いが正義を更新するため、悪党を善人に変えるための制裁は必須だ、ということになり、その力は平和を守る勇者が持つ正義の力、ということになるので、徒手空拳の争いをおさめるための強い力を持とう、というところからスタートし、金剛禅社会で育て、他の社会に送り出し、人の質を高めていき、量子の精神場を経由した願望実現を目指す、ということになり、この金剛禅の考え方でいけば、死ねば良い、殺せば良い、という考えはなくなり、悪は制裁して善に変えれば良いということになり、楽をして現世で利益を得たい、という努力を怠る考えも無いことになる。悪を制裁し、努力して理想郷は建設できるものであるため、当たり前の考えなのだ、とわかれば良く、さらに、強くなるために少林寺拳法を修行したい、という発心と、さらに、強くなりたくなって当たり前の人生を経ていることが入門の発心を支えるのであれば、強い拳士になるまでたいへん速くなるので、迫害を受けている人は、耐えて得られる強さを持っているという自覚を自信に変え、その自信をもって強くなるための修行をしに少林寺拳法に入門すると、はじめてすべてが良い、ということになる。一部ずつ良い、を繰り返していくとすべてが良いに変わるのだが、強くなるためのこのロジックだけしかないのではないとも自覚すると良い。

 

 

 

 

量子の精神場からの声は閃きである。音声ではない。身体を遠隔地から鳴らされる場合は、犯罪者による攻撃だ、と自覚すること。彼ら犯人たちは殺人鬼である。コレに屈しない金剛の体を得れば勝利は確定する。