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合掌礼は肘を張り、角度を正しく調整すると理想的な効果が得られるようになっている。 Facebook未公開記事

教範の154ページかな? このページに開祖 宋 道臣による合掌礼が写真になって掲載されている。合掌抜でお馴染みの肘の角度は、正しい角度とは何か? を示唆するものである。礼の時の合掌礼の肘の貼り方はコレで学ぶと良いだろう。実体験から書くが、理想郷建設の速度が加速する効果があるからである。

 

 

 

 

時々、脇をしめて合掌礼をする人がいるが、ソレより肘を張って三角抜のようにも合掌抜にも通じるような緊張感が脇に卍となって現れているかどうか?、が問題なのである。脇をしめる人の合掌礼の場合は、だが。

 

 

 

 

正しく合掌礼をする場合は、理想郷建設の速度が加速するのかどうか? という最高位の高度の問題となるのだが、そうではない場合は、より低く設定された問題が次々に問われるようになる。成長の程度によって、である。ココまでわかれば、合掌礼は正しくやれば、拳士の理想郷は成長の度合いによらずに実現するものだ、ということをやるようになる筈だ。自ら建設計画のピッチを遅くしてはならないのである。

 

 

 

 

もし、合掌礼を間違えている場合は、数の勝負となる。合掌礼をする回数が多ければ多いほど失敗は消えていくようになっている。片手で合掌礼をすれば効果は半減、だが、同じ相手に会った時だけではなく、分かれる時にも同様の合掌礼をすれば一回分に相当する効果を得られるからである。つまり、まずは金剛禅社会のなかでたくさんの拳士と交流し、礼を正しくおこない、飯器や汁器を手に持つ前から、腹の底では理想郷がやって来る! と大笑いしつつマジメな顔でマジメに食事をする、と。大学生の本山合宿は4年間在籍すれば少なくとも3回はある筈だ。この機会にハナシをかぎると、だが。この場合は、合掌礼は数が多ければ多い、という↑でいうところの数の定義が変わることを見抜かねばならなくなる。つまり、今度は合掌礼の数ではなく、失敗とか成功とかのハナシでもなく、人数勝負の数、ということになるのである。実体験から書くが、総本山では多数のたいへん役立つ閃きが起こったものだが、そういうハナシなのである。

 

 

 

 

こうして、失敗が無くなるようになっているうえに、日頃から礼を尽くせば道訓に通じ、さらにちゃんと修行を通じて技をアートするかのごとくいろいろ試して楽しむ際に、腹の底ではニヤニヤし、自分の理想郷建設をすすめ、マジメな顔で合掌礼はけっして手を抜かないようにコッソリ心がけると、必ず自分にとって万事都合が良い理想郷が物理的な誕生する、と。そのように釈尊が言ってたのだ、とわかれば開祖 宋 道臣が何を考えて少林寺拳法を創始したのかの理由がわかってくる筈だ。楽しく愉快な人生をすべての社会の人々は送るべきだ、である。だから、合掌礼を普及させねばならない、と。そういうことなのだが、こういうハナシはノリがあれば実現する。人気のあるアーティストが合掌礼を始めれば、拳士でないファンたちはどうするか? たとえば、ハロプロのアイドルが当たり前のような顔で合掌礼をはじめると、モーニング娘。やアンジェルム、つばきファクトリー、その他のグループのようになりたい小学生が増え、少子化を逆手にとって人口比で多くなる、そうではないだろうか? 過半数を超える小学生が合掌礼をするかもしれない。こういうのはノリなのである。ロジックではなく。

 

 

 

 

片手でサッと合掌して相手の反応を待たずに去っていく小学生が出現するかもしれない。何を狙って合掌礼をしたのかわかれば良い。少林寺拳法では、体力に合わせてスペシャリストを育成している。失礼とかどうとか以前の問題になれば良いので、正しく合掌礼をする回数が多ければ、多少は見逃される。なぜなら、理想郷建設のためである。イチイチ注意してたら速度が落ちるから、たいがいは礼儀正しい、という実癖をつけておけば良い、というハナシで、じゃあどこで誰がチェックするのか? といえば多くは道院や支部で、道院長や支部長が、となる。ソレなら、その場所、その人にはたいがい礼儀がちゃんとできている、というカタチを作れば良い、となる。カタチが重要だ、というハナシは礼のハナシなので。コレぐらいはどこの道院でも支部でも教えている筈だが、もしかしたら教えていないかもしれない。ソレは考えればわかりそうだが、ということなのであろう。

 

 

 

 

いまなら、合掌礼が流行っていないのでこのロジックで。流行りはじめたら定着するまでのロジックで、となる。礼について普段からうるさいと、誰も礼をしなくなる、コレぐらいはとっくにバレているので、イチイチうるさく言わないのである。言う時には、別の理由がある。理想郷建設をサボった拳士には、必ず礼について注意がされるようになる。たとえば、聖句を覚えないままに昇級、昇段をしようとする拳士には、技を試験する前に、聖句から、などと言われるがごとくのハナシ。理想郷建設をサボらない方が本人にとっても良い。まあ一回ぐらいは注意されても良いかあ、ぐらいでOK。ようは、楽しく愉快な社会を実現すれば良いのである。こういう結論にならざるを得ないように、数千年前から決まってるのである。釈尊から始まったわけで。正しい仏弟子になりゃソレでOK、と。

 

 

 

 

量子の精神場にはすべてがバレることも忘れずに。