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金剛禅 少林寺拳法 特徴 不殺活人 Facebook未公開記事

不殺活人とは理由のない殺傷行為をしない、または理由が自分の名誉のためとして殺傷しない、という意味である。

 

理由のない殺傷行為とは、殺人や障害を趣味としている者による殺傷行為が例として適当であろうが、ようは大義名分、つまり正義が無い殺傷行為がすべてコレにあたる、と思えばまあまあ正解になる。したがって、政治主張がある殺傷行為は、テロであるのだが、コレは目的があるので理由のない殺傷行為ではない。そのため、戦争行為によって報復されて当たり前、という不法行為とされている。テロを起こせば、警察や軍隊によって報復される。テロリストはこのように処刑される存在なのである。殺人趣味などを持つ者に、封建時代の貴族などがあった。単に領民を殺害したい、という動機だけで殺人を繰り返す、いわゆる暴君がいた。だが、けっきょくは革命により滅ぶのであった。

 

 

 

 

不殺活人とは、少林寺拳法の特徴の1つである。だからといって、ナメて襲ってくる地上げヤクザや公務員などが本当に実在するのだが、あくまで平時の少林寺拳法は不殺活人である、ということを忘れてはならない。戦時において敵兵に対して情けをかけ、仲間を裏切り、日本を裏切るようなことは少林寺拳法では敵対行為、と考えているので戦に際しては平時とはまったく異なる少林寺拳法となるのである。コレを活殺自在の少林寺拳法、と私は呼んでいる。

 

 

 

 

平時は不殺活人の少林寺拳法

戦時は活殺自在の少林寺拳法

 

 

 

少林寺拳法を福祉団体だと思い込んでいる悪党がいるようだが、金剛禅活動を行う組織である。つまり、

・・・から先はちゃんと調べろ。悪党ども。

 

 

 

 

教範には極真空手大山倍達の拳は殺人拳、とジャンル分けしている。だから、少林寺拳法の拳士はやってはならない、と説明している。

 

 

 

 

この意味は何か?

・・・コレもよぉく殺人拳の極真空手を調べろ。悪党ども。

 

 

 

 

 

武器を持たない少林寺拳法極真空手、とかいがみ合っているから分断工作不要、などとナメたことを考えている悪党がいるようだが、自民党少林寺拳法極真空手その他の日本人や日米安保条約によるアメリカ人の参戦、イギリス人の参戦、ドイツ人の参戦、などは当たり前だが事実、あるわけである。核ミサイルだって持っているわけである。よぉくこの点を調べろ悪党ども。平時には良い人ばっかりなのである。

 

 

 

 

少林寺拳法の場合は、拳禅一如の枠内で武としてしか使えないように開祖 宋 道臣は編んでいる。平時では、が説明から抜けているだけで。わかる奴にはわかる話なのでもうこれ以上は私は説明を書かないが、真の勇者をナメんじゃねーぞ、という意味なのである。ようは、だが。

 

 

 

 

あくまで活人拳にこだわらねばならない。不殺活人は少林寺拳法の特徴の1つである。拳禅一如の枠内でのみ修行しなければならない、と新皮質で礼拝詞を唱え、聖句を信条し道訓し、毎回、作務などもしていればだいたい雰囲気がわかってくる筈だが、そういうことなのである。

 

 

 

 

 

つまり、活人拳とは、

人は殺さず、我は霊止として拳を振るい、傷付けず、だが、不法者は制圧する拳のことである。このような技ばっかりたくさん揃えて整理され研究され続けて不思議な技まで持つ活人拳が少林寺拳法、ということなのである。一言でいえば、多数の秘技を有する法術が少林寺拳法である、ということになる。

 

 

 

 

量子の諸学問や物理の諸学問を用いてソレら学問の成果に則り、秘技を合理的に使用することを会得するため、非力であっても体得はできる。ソレが少林寺拳法である。この意味をよぉく考えろ悪党ども。拳士はわかってるのである。練習しなければ強くなれない、と。この意味をよぉく考えろ悪党ども。回数をかけて練習すれば良いのだが、なぜだ?と意味をよぉく考えろ、悪党ども。良い拳士ならすでにわかっているのである。

 

 

 

 

平時に鍛えておく。

戦時に鍛えるのも当然行われる。

どんな時も鍛えれば強くなる、鍛えないと活人拳でも殺人拳でも武道、武術は、格好だけの踊りになってしまう。ワイヤーアクションを用いて撮影されるアクション映画の役者は、鍛えていないと仕事にならない、募集条件に外れる、つまり、そういう意味なのである。

 

 

 

 

少林寺拳法の技を用いてケンカをしてはならない、コレは本当である。私だってそのように答えてきたしコレからもそのように推奨していく。当たり前である。だが、危険が迫っている場合は、使え ←コレ

 

 

 

当たり前の話である。なんのために練習するのか? 強くなるためである。そんならなんのためかわかる筈だ。私は昇段試験でもちゃんとそのように書いて合格しているのである。試験にも強くなければならないのであるから、当たり前のことはちゃんと書かねばならない。

 

 

 

 

ちなみに、ケンカはダメ、でも合格はする。落ちる人も試験だからいるであろうが、それは試験の本質だからやむを得ない現象、それ以上の説明は不要であろうが、少林寺拳法は不殺活人だからケンカをしてはイケナイ、と書いても合格はする。だが、武専に行け、とは言われない拳士で終わるだろうナー とは採点者に思われる、たぶん、だが。武専に行けない拳士の場合は、ヤッパリケンカに使ってくれば良かった、と後悔するパターンである。身の危険が迫っていたら、少林寺拳法は護身術だ、を思い出さねばならないからである。道場長にはなれそうもネーな、とは私は思うけどね。決めるのは私ではないからもう書く気は無いが。

 

 

 

 

戦争には大義名分が必要なのである。正義が、である。宣戦布告ができないからである。困るわけである。正義が無いと、である。

釈尊仏弟子、というビッグキーワードから少林寺拳法の特徴すべてをリンクさせながら学べば、釈尊って幅が広いんだナー とわかってくる筈である。正法護持のため、でも少林寺拳法の拳士は参戦できるので、よぉく大義名分を考えてからケンカしろ、やるなら勝って来い! は開祖 宋 道臣の教えにちゃんと入っているのである。釈尊仏弟子だからであろう。無法者を多度津から退治した翌日とかその週のうちに、ケンカはするなよ、と教えたのも開祖 宋 道臣である。同じ理由からである。コレぐらい自由なので、少林寺拳法を選んで3段まではとってよかったわあ、と私は考えているのである。

 

 

 

悪そうな顔した坊主だなあ、とは当時の街の人たちの話で、ヌケヌケと正義を語るので不思議に思ってたら正義のために悪党をやたらに潰して放り出す人だ、と判明し、それ以降、愛される霊止になって今日の少林寺拳法に至る、と。ヌケヌケと・笑。コレでなければ日米英の今はわからない筈だ。

 

 

 

 

本当に開祖 宋 道臣は参考になる霊止なのである。