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金剛禅 少林寺拳法 物理的な世界への影響 YouTube Facebook未公開記事

https://www.shorinjikempo.or.jp/sk/assets/mp4/concept-movie.mp4

 

少林寺拳法のサイトからYouTubeにリンクされていたので、私はこのムービーに気が付き、すぐに調査のため、はじめて観ることにしたのである。

 

 

 

 

少林寺拳法が物理的な社会に及ぼす影響を表したムービーであった。社会が変わろうがなんだろうが、何がなんでも自分の可能性を拡大していきたい、という意識の問題についてのムービーでもある。たぶん、だが。

 

 

 

 

意識が拡大すると、量子の精神場にアクセスすることができる。バイオセントリズムでは死後だった場合は、と考えるようだが実は生前からアクセス可能である。

 

 

 

 

この意識は、ダークマターを研究している人たちによると、物質以外は入れない、と主張している。量子の精神場とはダークマターのことなのか? と考えたくなるほどバイオセントリズムではダークマターに関する説明のような説明が多い。そこで、宇宙の大半を占め、バイオセントリズムから言わせれば宇宙全体に影響を及ぼす、とされている空間、ダークマターを量子の精神場と考えを進めてみると、金剛禅の考えに至るのである。

 

と、すると、

ダークマターに入るモノは意識であるのだが、その意識とは物質であることになる。ソレなら意識は物質だ、と断定してみる。すると、はじめに光ありき、と聖書で伝えられているこの宇宙とは、物理的な宇宙のみについてのハナシに絞るための表現である、とか、いろいろ考えが整理できるようになるのである。

 

ソレなら物理的な社会とは何か? と考えると、人智学では企業社会、市民社会自由社会の3つだ、と教えているのである。国家はコレらの社会から構成されていて、国際連合はコレらの社会の連合体である、と教えているのである。連合体とは主権を保持して形成する意見の集合体のコトである。

 

そこで、物理的な社会とは地球上の社会だ、ということになり、ソレは人類社会のことだ、と考えが整理される、と考えるのである。自然界と人口界、という考えでもOK。動物社会とか虫の世界、とかはキャッチコピーのようなモノ、またら学術的な分類をした場合の分類名である。

 

 

 

 

コレらを踏まえて↑のムービーを観ると、合掌礼をしている外国人と日本人4人がいることがわかるのだが、合掌礼とは、理想郷実現のための数勝負、多くされればされるほど量子の精神場に理想郷が誕生する、というロジックがあるので、納得のシーンということだ、と理解することになるのである。

 

キックミットを蹴りまくるシーンがあるのだが、腰が入らず蹴っていても、連続して蹴るとだんだんわかってくることがある、というシーンだ、とわかれば、ニ連で蹴れば速く蹴ることができる、までわかる、と。

 

 

 

 

そして、観終わったあとに考えると、金剛禅活動が先で、カネ目当てで働くことはやめた方が良い、という構成であったことに気がつくことになるのである。したがって、まず、企業社会では理想郷は作れない、ということになり、コレは事実そのとおりだ、とわかれば納得の構成、とまで納得できるようになる筈だ。

 

 

 

 

時間と距離が反対になる量子の精神場においては、未来と現在と過去が常に必ず同時に存在可能になる。時間が物質化するからである。時間が物質化するという意味は、光が物質だ、ということから簡単に想像することができる。さらに、物質化した時間とはどんな物質なのか? と想像すると、何かしらの光を反射するモノだ、とわかる筈である。時間は概念であるので、物質化するわけがないので、だが、物質化する時間があるのは量子力学で証明され、物理学でも証明されているのは本当なのである。では、どういう現象が物質化した時間を表す現象なのか? というと、コインを上に投げて掌で受け止める時のコインやそのほか、軌跡や掌という肉体が時間そのものだ、ということになるのである。コインが裏、表、裏でもあり表でもある、という現象が量子の学問でよく挙げられる現象なのだが、このコインが時間が物質化したそのものなのである。

 

時間と距離が反対になる、とは時間が物質化し、距離の経過が時間の経過となり、物質のカタチや本質的な成分が変わらない場合は、つまり、時間が物質化した場合は、物質は常に同じ位置に飛んでいく、とはならない距離を動くことになるのである。距離の経過と時間の経過と物理的な計算が合わない現象とは、時間が未来にも過去にも現在にも同時に動く現象のことになるのである。1秒後には始点より離れた場所に投げられている筈なのに、作業力が作用しているにもかかわらず1秒前や、さらに、数秒後に到達する場所にいきなり移動するのである。光があると量子の実験は不可能になる理由は、時間が物質化しないからなのである。

 

したがって、物質とは時間である、考えると、光と距離が反対になる、とはつまり、量子の世界ではコインの例で有名なハナシになるほど、時間と距離の関係は、目視可能なかぎりにおいて物質的な見え方ではない見え方をし、その見え方が時間を遡ったら見えるような見え方や、時間を経過しすぎたように見える見え方や、時間が何度も止まったかのように見える見え方をする関係だ、ということになるのである。

 

 

 

 

 

と、すると、

合掌礼の数が多ければ多いほど量子の精神場には理想郷が誕生する力が作用することになっているとしか思えない見え方をする、と釈尊が見抜いているのは、量子の諸学問からみれば当たり前のことなのである。何度も祈ると意識が物質化、つまり、何らかのモノが光であるので、光がその何らかのモノのカタチのままで、量子の精神場に飛んでいき、運が良ければダークマターに入るし、すぐに叩き出されるように放り出されるし、その運によらず必ず入るようにするには、合掌礼をする人の姿そのものを意識に変えて物質に変えてそのまんまの姿にしてダークマターに飛ばすことだ、と釈尊は見抜いているのである。たぶん、だが。私の実体験でいえば、願望が現実化する確率が高くなるのは、合掌礼を多くした場合だ、とわかっているので、たぶん、みんなもそうだろ? と私は考えたなのである。

 

 

 

そこで、道案内をするなどの助けをする場合など、機会さえあればすぐさま合掌礼を交わす、またはすると合掌礼をした人の願望が叶う、と。ただし、願望が叶うにしても、確率的が上がるだけなので失敗もある、とわかっておかねばならない。なぜ失敗するのか? ソレは宇宙の都合に係るハナシであるのだが、おそらく超新星爆発などのあとのブラックホールが影響している筈なのである。光を吸い込み、圧縮して本質的な成分のアレコレや外形を変えるので、願望が叶わない場合はこの天体に吸い込まれた、と考えるしかなく、そういうことで、次は必ず理想郷を作ってみせる! という気迫が必要になり、いかなる機会でも見逃さず、必ず合掌礼を行い、何がなんでも理想郷を作り、願望を実現する、と。合掌礼をする姿が、一番、成功する確率が高いカタチであるので、当然、この礼式を行えば、願望が叶う確率は上がることになる。釈尊はソレを見抜いているから、人気が高いのである。

 

この釈尊の発見を戦後の日本で復活させた組織が金剛禅 少林寺拳法である。

 

合掌礼は数で勝負ののである。

 

したがって、ムービーでは最後に出っ歯が幸福へ向かって進む姿でまとめられていた、と。このようなラストシーンになるのは当たり前なのである。つまり、合掌礼のススメのムービーなのである。合掌礼から観ていくと、たいがいのシーンは単なる前振りであることも気がつく筈だ。小さな意味より大きな意味を逃さずに観ればオモシロいムービーである、とわかるのであった。