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強欲→無欲→復帰 という思考 Facebook未公開記事

私ではなく、芸能界によくある思考・・・というか、復帰の際の説明、コレでよく見聞きする考え方が、表題の思考パターンではないかな? と私は興味を持ったのである。

 

強欲、とは出世欲のことで↑の例でいえば所属事務所との契約に基づいて芸能活動を行うタレント業の人がその営業の方針どおりに有名で、かつ、儲けることができるように活動する際の思考の特徴である。

 

強欲とは、つまり、もっと儲けよう、と期して必死になることを支える欲のことである。

 

この後、体調を崩して休業し、その後、欲をタレント自らが失い引退をする、というコトがあるが、コレは蓄えた収入だけでしばらく生きていこうとする不作為の活動であろう。この活動を支える思考の特徴が無欲、というものかと私は考えている。

 

カッパの本によれば、無欲では生きて生きなくなる、強欲ではキリがない、と宋 道臣は考えを本に記している。そのとおりであろう、と私は考えている。

 

無欲は生き甲斐を失することに通じやすい。

強欲は心身ともに限界を超えてでも儲けたい、という消費型の考えであるから、身を削りすぎて自分を失することに通じやすい。

 

企業社会では、何のために働いているのかわからない、とか、市民社会では、何をすれば良いのか誰も救ってくれない、という訴えを元にしたビジネスな盛んになった。

 

政府は生命の安全を自国民に保障するコトが義務である。西側でも東側でも政府はみんなこの義務を負う、とされていまの国際社会が形成されており、そのため、政府は国民の生活の安全を図るためにさまざまな行政上の施策をうち、そのサービスに準じるカタチでさまざまなビジネスが起こり、発展していくことは当たり前のコトである。

 

強欲でも無欲でもダメだ、と宋 道臣は考えを述べている。コレは敗戦によって大混乱と失望感と無力感に支配された昭和21年を体験し、日本の将来のために青少年を健やかに育てよう、と決心した宋 道臣の本当の考えであろう。

 

強欲では戦前のように争い合うことになる。強い者だけが残る。ソレが帝国主義であり、ソレは第二次世界大戦で終わった、と私は考えている。かつて、北朝鮮の大学では北朝鮮政府が知らないうちに、西側の国を帝国主義で、かつ、人肉を食う民族からなるバケモノの国だ、と教えており、大韓航空機爆破事件ののちに韓国から発売された本によって問題は大学教育にある、と判明し修正されたコトがある。帝国主義、という言い方は時折、北朝鮮の国営テレビで用いられる表現ではあるが、コレは北朝鮮の外交上、アメリカ合衆国を大批判する目的で使用される表現でしかなく、平穏な時は、北朝鮮は国交のある国々の国民を観光ツアーなどで入国することを帝国主義の国々だから、という理由で制限することはしない。アメリカ合衆国と対立構造を作った際のみの外交上の、北朝鮮のみが持つルールがある、というわけである。国交を持つ必要があれば、帝国主義だ、という表現は無くなる。したがって、北朝鮮の外交での形式的な表現というコトなのである。

 

帝国主義の次は民主主義と社会主義共産主義との対立となり、朝鮮戦争はその構図が表れるコトとなった。この時の日本は、軍事的特需で次々に商品の注文が重なる時期で、経済成長はめざましく、また、敗戦の痛手を癒やす効果さえ認められて、結果として日本国民は敗戦から立ち上がる契機を掴んで、成功していった、というコトになった時期を迎えていた。

 

この後、日本は米ソ冷戦時代を迎え、ボーダーレスの時代になり、インターネット革命が起こる時代を経過することになる。経済摩擦による日米貿易戦争があり、ベトナム戦争湾岸戦争もあった。アメリカと中国との間の平和条約締結もあり、日本と中国との平和条約締結もあった。

 

この間の日本の国民の状態を、経済的な大発展とは別の観点でみていったのは日本政府や民間企業であった。まだ、市民社会は企業社会より非力であり、水俣病などの公害による被害などの被害もあり、真の幸福とか何か? についての答えを各宗教が説得力のある説法ができなくなり、新興宗教による科学的で、かつ、無知に漬け込む霊感商法などの方法によるモラルの崩壊などの問題も発生、産業構造はインターネットの民間利用の時代になって大変化を迎えて、働き方の選択肢に、転職だけではなく、社員を派遣する働き方が起こり、常に日本国民は、コレらの変化を社会主義的に受けるコトを余儀なくされてきたのである。

 

アメリカ合衆国では、自由主義社会主義が意味を取り違えて解釈されるコトもあり、日本国民は社会主義による立場からの自由主義的な大変化を受け止めてしまったのである。自由主義的な大変化として、企業内の社会主義者をリストラする、というコトで成功をおさめたアメリカの最先端テクノロジーの企業がリストラ成功企業、とされているのだが、なぜか、その半導体メーカーのようにはいかないリストラ計画が次々に実行されてしまい、頭脳の空洞化はとまらず、結局のところ、社会主義者共産主義者が企業内に増えるカタチとなって、公務員の縦割が大問題になるまでになり、市民社会をサポートする施策が日本政府から次々に出され、自治体が浸透をさせず、日本国民をサポートするビジネスも、日本国民からなかなか理解されず、マスコミによるニュースは社会主義的な観点からなされるために、インターネットによって情報収集する国民から情報源としての価値を取り上げられるようなカタチとなり、結果として、偏向報道が目立つマスコミから別のパワーを求めるパワーシフトが起こり、日本国民は真実を求めて攻撃的になり、次の大変化を国民側で受けようとする諸活動が盛んになって、ソレまでの損害を埋めるように、必死に生きる時代を続けるコトになった、と。

 

コレが戦後の日本国民の生活なのである。誰に批判されても必死で生きてきた、という民族は日本民族である、アイヌ民族は、樺太ソ連に軍事侵攻されて以来、さらに少数民族化が進んでしまい、千島列島の南部にいたアイヌはついに歴史を失い、力をますます弱めてしまい、日本民族とともに混乱を余儀なくされて、必死で生きていくこととなった。

 

差別や迫害などは、日本でも盛んに行われてきたのだが、時代が進むたびに左翼切りを政府主導で行われて日本の国民は敗戦から豊かな時代になっても、精神は正確になっていっても、思考はなかなか進歩できず、見事な文化を作るわりには貧相な発想しかできない異常な事態をずっと続けてしまっているのであった。

 

世代から世代へ移る思想や伝統は、孤立して独立的に保存され、希望者が共有したり、享受するだけとなり、民族単位での継承、昇華がなくなり、いまは、地域分断、そして地域分断によって社会主義共産主義や詐欺から国民の生活を守らねばならなくなり、各家族問題は解消せず、心とは何か? を量子の諸学問が解き明かし、物理の諸学問がソレを証明するいまになっても、何が重要なのかを、自分、家族、地域、国家、国際の各レベルでよくわからないままに、人類が太古から続けている理想郷を作る、探す、というコトをせざるを得なくなり、結局、わからないままに国際社会から孤立したり、置いてきぼりを食わないようにするために、またまた必死で遠くのゴールをひたすらめざして走り続けるコトになっている、ソレが大混乱をまだ更新し続け、サイバー犯罪者に襲われ、テロの危険に晒され、ソレでも休んで考えるヒマさえなく、誰も真に重要なアイデアを継承してくれず、昇華もしてくれず、自己責任の名は社会主義者に都合がよく自由主義者には無関係な無責任論なのにもかかわらず、すべて自分で調べなければならなくなってこの状態は更新され続けて終わらず、ふと気がつくと、年齢にかかわらず日本国民は全員、家族のない高齢者とまったく同じ状況に陥った、と愕然とさせられる毎日を発見するハメになったのである。

 

ただし、新しい力は年齢によらず自由主義者から起こっており、その力が国家を超えるまでにインターネットの効果を利用して強化されており、コレが新しい幸せにつながるための壁を作り、社会主義者を包囲して外へ出さず、外にいる日本国民は自由を求め、自由の成果として最も重要な心というもの、つまり、思考を求めて、自由主義の観点からみた意味での自己責任を追求するようになったのは我が国にとっては良いコトである。

 

この利点を活かし、強化するとどうなるのか? この答えがまだ見えない筈である。すべては人の質、質にあるからである。

 

ようは、カネがなくても生きていけるわけであるから、カネのコトで心配せずに生きて良いのだが、責任が残るために、自分と他人がなくなってしまわないように生きていかねばならず、そのためのコミュニケーション能力を求めれば、カネにならないから間違いだと主張する者によってまた考えさせられたり、自分と他人の両方が正しく思考しなければならないのに、まだ思考を共有するばかりで、リモートワークと同じ手段で理想的な社会のイメージを共有する段階まで達しておらず、達しようとすると妨害が国内外から起こり、メッセンジャーVPNを用いて会議に使おうとも、zoomを用いてリモート会議の形式で行っても、強い主体が主導しなければ、知識の蓄積と強化と共有、それぞれからなる知識の保存、体得までいけない段階に止まってこり、この遅滞がアメリカ合衆国では解消されつつあるので、後から同じようにして一気に進歩して、地域のリーダーを作り、個人という立場、パワーでもかまわない、何にも困らない、という時代を期して黙っていつものコトをこなす、このような状況は、遅すぎる進化、という特徴を拭えない進化であるため、他人と責任を重視する自由主義者たちは、ボランティアイズムや創作物の創作などを通じて無償、有償のリーダーシップをサッサと発揮して先へ先へと進んでいき、独自の自由主義社会の様相を日本国内に作りつつあり、サイバー社会でも作りつつあり、格差が広がっているという状況になった、と。

 

 

 

 

つまり、まずは自分の幸せを考えて、自分の理想的な社会を発表し、次に自分が他人の幸せまでも考えて、理想的な社会を作る、というコトをやらないままでは、いかにアメリカ合衆国から祝福を与えられても、人類からは納得されない理想的な社会を作るつもりだから相手にしたくない、と分断されてしまうコトになるのである。

 

他人とはだれか? サイバー社会は現実を変える社会の1つであるのだから、サイバー社会でまずは利用されやすい立場である信用される人になる、コレを目指さねばならなくなるのである。他人とは自分を利用する世界中の人たちのことである。この世界の人たちは、西側の国々の国民であっても、すべてアメリカ合衆国やイギリスのような文化を持つわけではない。つまり、他人に利用されやすく、他人を利用しやすい自己をサイバー空間で作るコトで、はじめて他人の定義を各自が持つことになる、というコトなのである。

 

少林寺拳法の開祖の宋 道臣が説いた考えのなかで、古くなった考えは更新しなければならない。利用されるだけでは信用されるだけで、信用されるだけの人間にはなるなよ、と開祖は教えたが、いま開祖はこの点については、利用されたら、利用するという関係を持たねばならない、と教えを変える筈である。

 

コレは個人間売買のようなサービスとはまったく性質が異なる。利用される前に、協力して欲しいコトを伝えて了承されたら、はじめて他人に協力し、対価を貰う、コレが自由主義者たちが行う活動を支えるモデルなのである。ボランティアイズムの次は何か? 自由主義モデルである。

 

私はそうやってきたが、なかなか同じようなコトをする若い人は出てこない。私より年齢が上の人でもなかなか出てこない。ビジネスモデルに依存し、社会年金に依存する人生モデルを重視するばかりである。次々に倒産するビジネスの主体を見て、次は誰の番なのか? と考えると良い。いずれ、価格の格差が実現するようになるからである。仲間には安く、仲間ではない人には高く、コレが次の自由市場である。では、サイバー空間ではどうか? ビジネスモデルは広告システムに依存した、古いビジネスモデルに分類される収益化システムがあり、Bitcoinなどの暗号通貨は法定通貨の代わりにはなるが、貨幣価値は変動するため損をする人と得をする人がすぐに分かれて出現するため、不安定な貨幣制度となり、法定通貨制度を超えるコトはできないままである。

 

 

次の自由主義社会とは、ラーメン屋が次々に姿を消すこのご時世にもかかわらず、繁盛して支店を増やすラーメン屋があって当たり前の社会のコト、と説明しておく。その社会は何と呼ぶ社会なのか? と私は問われれば、金剛禅社会、と答える。この金剛禅社会のような社会がアメリカ合衆国に見つかる。テキサス州アラバマ州に見つかる。彼らは家庭からカネが儲かる人づくりと環境づくりに成功しており、自分の好きなコトや家族サービスのアレコレを他人に向けるコトで自分が望むアレコレを手にいれている。全員がそうではない。金剛禅社会のような特徴を持つ社会ではそうなのである。この社会をコミュニティと呼ぶ。FacebookなどのSNSの定義ではまったくない定期のコミュニティ、コレが自由主義社会なのである。日本では、金剛禅社会である。熱心に少林寺拳法の諸活動をおこなわない拳士にはわからないかもしれないが。

 

 

 

 

そういうわけで、私は楽しく愉快に生きるためには、理想郷が必要だから、休眠拳士をやめることにしたのである。近々、復帰のための調査をし、いつものようにさまざまな妨害を排除しつつ、復帰することになる。ここまでキャラクターが確立すると、真の正義の繁盛の勇者にならないと、エクスカリバーの神話が更新されないからでもある。私は、黙っている世界からの要望は、アンケートなど取らなくてもわかるのである。