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人間・宋 道臣 Vol. 27 Facebook未公開記事

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最終回 “魂の師”になろうじゃないか
2016/03/15


 宗道臣は、私にとって掛けがえのない「師」です。

 

35歳で出会ってから、

50歳で永訣するまで、

そして、

出会いから半世紀を経た今に至っても、

あらゆる面でずうっと私の「師」であり続けています。

私の敬愛する先輩が、

いつか

「自分は師家に星の数ほど教わった」

と言いましたが、

私もまた、

満天の星の一つ一つに自分の学びを見る思いでおります。

これは、

そんな私の“思い出星”の一つです。

 

 私は、

先にこのコラムに書きましたが

(バックナンバー5参照)、

宗道臣との出会い

(バックナンバー20・21参照)

を果たして、

ほどなく

自分の勤務する高校に少林寺拳法部をつくり、

夜は

自宅近くの

金剛禅総本山少林寺の)道院にも通うようになっていました。

 

また、

月に一度の本部武専

(現・武専コース本部地区)

にも、

関西汽船または国鉄(現・JR)準急「鷲羽(わしゅう)」と予讃線を乗り継いで通いました。

 

中年転向で、

おまけに鈍臭い私には、

技の修得よりも宗道臣法話が目玉でした。

 

香川県多度津町にある金剛禅総本山少林寺の錬成道場群はまだ影もなく、

宗道臣の武専の講義は、

米蔵を改築した道場の2階、

巨大な剥き出しの梁の下で

少林寺拳法教範』

(指導者用の教材)

の読み講習。

 

技法修練は

1階の道場で

押しくら饅頭状態でしたが、

合間合間に、

宗道臣が祭壇前に腰を据え、

その周りに

一同半円形で座って、

縦横無尽の法話に聞き入ります。

これぞ武専の醍醐味、まさに“至福の刻(とき)”でした。

 

 「一緒にやろうじゃないか」

というお誘いを頂いたのは、

そんなころです。

 

出会いのときから4年。

私が39歳、

我が師は58歳の春でした。

 

 以来、

69歳で永眠された家宗道臣初代師をお見送りするまで、

執事長、事務局長として

そば近くに仕えることができたのは

無上の幸せというほかありません。

 

宗道臣は感性の人でした。

美しいものには手放しで感動を表し、

不快なことには厳しく対応しました。

 

周囲への気配り、心配りは並ではありません。

 

そして、

その言動の一つ一つが、

私たち本部職員への教育であり、

躾(しつけ)でありました。

いわば

毎日が“感性磨き”の修行でもあったのです。

 

元来、

“情”より”理”が先行するたちだった私は、

「まず動かんか!」

「なぜ相手の立場に立ってみんのだ!」

「こんなことにどうして気がつかない!」

……本当によく叱られたものです。

 

 

 宗道臣が亡くなる前の数年間、

発作が頻発するため

、私は「本部道院道院長」を任されていました。

当時、

「本部道院」は町の中、米蔵を改装した道場

(桃陵公園に錬成道場が建ってからは「旧道場」と呼ばれていました)。

 

 そんなある日のことでした。

形どおり「鎮魂行」を終えて、

法話」を始めたまではよかったのですが、

その途中、

あろうことか横合いに、

ぬっと宗道臣が現れたのです

(意地悪ではありません。

昔の特務機関時代の習慣でしょう、

決して足音を立てないのです)。

 

慌てて

「起立っ!」

と号令する私を、

「そのまま、そのまま」

と軽く制して、

「続けなさい」です。

 

とたんに

頭が真っ白です。

 

宗道臣を前にして法話をする!”

宗道臣在世中の、それも古参道院長なら、皆さん“はだし”で逃げ出すはずです)。

 

実際、

技よりは

法話のほうが幾分ましな私ですが、

しどろもどろもいいところでした。

 

冷や汗を流しながら、

それでも何とか無事(?)話し終えました。

 

宗道臣は、

「で、君、ちょっといいかな」

と、先に立って祭壇脇の小部屋へ入ります。

 

何かまずいことを言ったかな……。

覚悟を決めて後に続きました。

宗道臣は、そこで静かに言うのです。

「あのな。君の話はただの“人生論”なんだよ」。

少しの間をおいて、

「なあ、“魂の師”になろうじゃないか」。

それだけ言うと、

そのまま道を隔てた管長公館

(現・公館)

へ歩き去りました。

 

たくさんの、

それこそ“星の数”ほどのお叱りを頂いた中で、

これほどこたえたお叱りはありません。

宗道臣死して35年余。いまだに私の胸でこだましているのです。