サイバーセキュリティを高めながら心の病気を治し中のブログ

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うる星やつら フォーエバーを観ていて「中国が舞台か?」と疑惑を持った件

すべて書き捨てなので読みにくいけいさんけどネ


スタート



中国の長江を遡っていくと見ることができる中国人や地平線が表題のアニメによく描かれているような気がする。人混みといい、エレベーターの本数といい、男と女の感情の出し方を表現といい、なんというか、全編に描かれているアクターすべてとステートがまとまって一本の作品となっているのだろうけれども、そのまとめが中国の長江を上海(上友引に該当するかもしれんが)からトトガをさらにずっと上っていった先までのすべてになっているような、そんな気がするのである。80年代の中国の繁華街はこういうカンジだったのかあ、と思うし、日本の繁華街がフォーエバーの中に描かれているアクターを思わせるし、韓国の繁華街もまた思わせるものだから、ようは東アジアは北朝鮮をのぞいてすべて中国人が作ったのでは? と。


なんか日本って嫌だな、とは思ってきたがこういうことかもしれんね。透視して素っ裸が透けて見えていた時期、キッタネー奴らの裸ばっかりになって死ぬような思いをした時ほどではないが、子供の頃から日常生活で体験するあらゆるものに対して

退屈だ

嘘っぽい

裏切りといじめに満ちている

と思ってきた。ようは私は中国人が作ったものはみんな嫌いなのであろう。凍ったトトガの上なのに、体温が外気温を思わせる温度であったのか吐く息が白くならないゾンビ女がYouTubeの動画に登場していた。昨日、このブログで紹介したYouTube動画のことである。


ジョージア州の美しい風景は、社会主義的な美しさを感じさせる。生き物が殺しあったりする自然の姿というよりも、山々それ自体だけが強調されたような風景には自然がない。木々は少なく岩山が多く、その鉱物が強く存在を主張するような風景だった。争いがなければ平和もない。それが大宇宙と小宇宙のうち、小宇宙の隅々まで共通する特徴である。従って、原則でもなければ原理でもないのだが、ジョージア州はヨーロッパの雰囲気を持つ州であり、それなら社会主義的な要素が自然に含まれる風景になるのは、人が先か自然が先なのかはわからんが納得できるハナシではある。ジージア州にはユダヤ人がユダヤ人であることを堂々と主張できる文化がある、と私はみているが、それは事実であった。その文化とはヨーロッパ好みが集まる州らしい特徴を持つ文化だ、と思えば不思議なことではない。


ジョージア州は冷静にユダヤ人差別に対して処しているようである。東アジアの報道は常に中国的である。バカバカしく感情を大げさに・・・表現する、というより露呈する、と言った方が正しいのだが・・・バカバカしいほど強調すべき観点がズレているのである。ユダヤ人差別はダメだ! というYahoo!ニュースを私は昨日読んだが、あまりにも古すぎてバカバカしくなった。ヨーロッパでは超正統派はひどく嫌われている。差別まではされることは少ない、こういう状況を知らない東アジアでは常にまちがえるのだが、スーパーオーソドックスであっても他国の人や他宗教の信者を迫害している者がいる。そして、常に真実を口にしようとするから「(古い表現だが)空気が読めない」人になる。だから嫌われる、というロジックがあってはじめて「ユダヤ人はもっと社会に溶け込む努力を重ねるべきだ」という現状が現れるのだ、とわかっていないともはや世間には通用しない。実際、通用するかどうか試すとわかる。人類の審判を受けもせず、好き勝手な主張をしても通用するわけがないのだが・・・。侵略者には通じないようである。コレから戦争になる。私は中国と韓国と日本が中国そのものだ、侵略者だ、と考えているのだが、滅びることが私の希望である。ここまでひどい国なのだから、と実体験で私は知っている。コレを人類の審判に何度でも書けるつもりである。この主張を、である。


このようなちょっとしたことでも大きな差が現れること、と予想するかどうかは投資家なら重大なことだとわかる筈である。将来の予想に慣れている投資家は、現状を将来まで続く未来の影、と考えている共産主義者よりも優れている。将来とは明らかに自由主義を異星人による審判にかけて愛されることになったその思想によって樹立するもの、と私は見ている。困っている人のためになるなら自らを危険な境遇に晒してでも情報を公開する。コレが正義である。自由な、正義である。


オープンではなくなったことが一時的な政策だ、と言っても良い。中国のマーケットのハナシだが。もはやそんなレベルではなくなったことを誤魔化そうとしてもムリなのである。親中国家や民族を見ていると明らかに社会主義者共産主義者ばっかりである。ジブチの労働者は100年以上昔を見るような特徴を伴って砂漠を中国政府が作った駅舎に向かって配送をしている。私はまだわかっていないのだが、中国人が将来にわたって続くと夢想している現在の中国的繁栄は何年ほど前の昔の人類の理想なのだろうか? 水準なのだろうか? 100年前の韓国がジブチに重なっている。私が見たかぎりでは、だが。


原始人レベルの韓国、というと今とはかけ離れているのだが、20世紀になる30年ほど前から日本が統治を始めた後も、江戸時代のアイヌ民族のうち、未開を好み自然を尊ぶアイヌ民族アメリカ合衆国でネイティブな先住民族になってさらに17世紀程度までシーンを遡ると見ることができる姿格好をしている、といえば案外当たっているのである。


コレを中国共産主義者が日本にやらせた支配構図、とみることができればどうだというのだろうか? コレ


日清戦争の前には社会主義が西洋で勢力を持っていた時代である。ロシア帝国ソビエト社会主義連邦に、帝政から社会主義体制へかわっていったのだが、そういう時代だったのである。祝福は処罰の後になる勢力が大きく発展した、と。


この時代に共産主義者がいたか? マルクスの登場以来、どこにでもいた。


彼らが戦争のどさくさに紛れて戦争当事国の両陣営に属する人々を騙して奪い殺しまわった詐欺師、旧約聖書でいう「へび」ではないだろうか? ・・・そういうことなのだが、コレが正しいかどうか? 中国人は昔から世界中の民族の神話と歴史を改ざんしてきたのではないか? という疑惑を私は持っているのだが、戦争を経なければわからないことであろう。中国からあらゆるものを奪いとり、自由にための燃料にしなければならない。学問的興味も然りである。桃源郷に向かう船上で崖にみることができる棺桶と同じ棺桶が他にもあるのかないのか? その棺桶はどんな物質なのかはわかるとしても量子的な見方をするとどんな力を発揮するものなのか? ・・・聖櫃の伝説のような観点なのだが、途方もないワット数の電力を生み出す物質だったら? 量子の時代になれば想像が現実になることが真実になるのだが、もしかするとそうなのかもしれないのである、だったら研究して解き明かして評価は後世にまわす、という学術研究は重要である。あらゆるものを中国(この記事中の意味では3国やね)奪い盗られたのだから、すべて奪い返す、コレを経てはじめて自由と公平によって樹立された異星人がみた将来(量子的な観点からみたのかもしれんね。異星人=神と呼ばれる愛される異星人たちは)に通じていく。私はどうみても自由とは力と愛でできており、ソレは祝福が先、処罰は後、またはトレーニングという世界の原理ではないかと思っている。つまり、大宇宙の統合力といずれ発揮される分断力が処罰なのではないか? と考えているのである。


祝福とは大儲け、である。物理的に実現した実在の理想郷が祝福である。つまり、理想郷とは人類が漠然とイメージしているだけではとどまらないほどリアルに細密にみることができる現実であり、ソレは喜びそのもの、楽しく愉快な人生、ソレである。


こうして考えていくと、うる星やつらのフォーエバーで表現されるアレコレはミヒャエル・エンデが解き明かしたがっていた金宇宙と黄道から人類が得た神秘である、と読めてくるのである。いかにも中国人が好きそうなハナシではないか? エンデは中国の哲学が深い洞察を与えてくる、と知って敬愛していた。与えてくれる、というスタンスではなく、自分が調べていたら中国に行き着いたので何かと思ったら、中国のアレコレの中の哲学や思想であった、と。そういうスタンスであった。エンデは中国から何を学びとって自由な世界に持ってきたのか? こういう態度を私は「海賊魂を持つ態度」と思っている。


ドイツの政治をみていると、今日、言わなくてはならないことをいう、将来、その意味がそのまま保存されてのち、また言う、実行に移す、というようである。私の考えでは、だが。だが、ドイツの政治は・・・なんと書けば正解なのかわからんのだが・・・変化してしまう可能性が高い、と・笑


将来は将来の子孫が考えること、ということもそうなのだが、もう少し、伝統を子孫に押し付ける風潮を強化した方が良さそうだ、と。あらゆることがドイツの政治の場合、なんか自信がありそうで自信がなさそうで、責任は必ずとるしドイツ人ならソレが当たり前だ、という気迫は感じるのだが、同じように感じて欲しいという点において自由すぎるというか、自由であったとしても強制しなければならない時もあるので、もう少し子孫の自由に誓って「間違ってはいない」というか「正しいんだからオマエら子孫も同じように考えろ」ぐらいはいいかな? と。ドイツ人は本当に繊細である。ソレでも良いことなんだからオマエらも同じことを同じように考えてやれ、自由を守るために、と。自国の利益が・・・ではなかなか人気がでないらしいが、崇高な概念を中国から守るために、とか敵を明確にして自信満々に「時代と事情に合わせて変化させるのは当たり前」という暗黙の了解ぐらいはあったうえでなんとか続けば良いのにナー と私は繊細さを細心さにドイツ文化を再審査して変えたらどうだろうか? とコロナ対策のドイツのニュースで思ってしまった。多分、再定義が必要なはず。どうもドイツは敵を間違えていそうなのである。中東への治安維持活動をNATO加盟国として行う、のは正しいのだが、どうも近視眼をかけて世界平和に貢献したがっているような、そんなイメージがドイツにはある。私の考えでは、だが。


敵は中国、と。ソレなのに中国の港に寄港します、とか連絡するから「裏切り者なのでは?」などと疑惑を持たれるのだが。ドイツはアジアのことは詳しくないのではないか? ベトナムとフィリピン、インド、オーストラリアから正しい戦争観をドイツ人は与えられるべきではないか? 概念だけでOK。ドイツ人は頭脳が優れている民族であ流らしい、と私は大雑把にみてそう考えている。概念がわかればハナシが早い人たちばっかりではないか? ドイツのバカを除けば、だが。


中国を西と東に大問題を抱えさせて右往左往させて人類からの報復に対処できなくなるほどビジーにさせ、記憶が足らなくなり、あらゆるコスト高に悩むようにさせることに大賛成である。中国大陸の中で東西問題を復元したらおもしろい、と私はかつてFacebookにアカウントを持っていた頃、そこに書いたことがある。そして、次は南北問題を中国大陸の中に作る、と。ニヤニヤしながらこのくだりを書くのだが、そうすれば長江や揚子江あたりを日本人のバカと韓国人のバカが歩き回るようになるのではないか? と。中国人は何かというと緊急のランチ会を開催する、というイメージがある。色々中国研究をしていると長江は素晴らしい自然だ、とわかってくるのだが、この川をうまく利用して中国(3国あるが。韓国と日本が中国なので)を破産させたいところである。




ドイツが遅すぎるけどね。