詐欺と戦う、投資好き

私が発見したサイバーセキュリティに関する情報を報告するブログで、株式投資について調べた情報についても書くブログです。

日本の神奈川県の大和市の大和駅の周辺でマトリックス風の幻覚風景やいない歩行者を見抜く方法を研究する

真実を見抜く方法

 

景色そのものすべてがニセモノ(マトリックス風の仕方で見せられた幻覚)かどうか? を見抜くことができるのかどうか? を私はいまテストしてみた。肉眼のみでできる方法に限定して、である。高価な仕組みを用いなくてもニセモノを見抜くことが可能ならコストは時間的な価値以外にかからない、というメリットがある。

 

テストの結果、見抜くことができることがわかった。ニセモノの景色や歩行者を見抜くことができる、とわかったのである。

 

直線的で見通しの良い場所からこのテストを始めると誰でもすぐにニセモノの景色を見抜くことができる筈。隣国に行かなくてもニセモノの景色を見抜くことができるのである。

 

歩行者や車が往来する場所に行き、見通しよく遠くまで直線的に見ることが可能な場所を選び出す。選んだその場所で自分から遠く離れた物や近くの物、なんでもよいから5秒程度、視点を固定する。

 

それから少しだけ上半身を左右のどちらかに動かす。何度かやっていると、その動きによって視点の角度が変わる度合いを知ることができるであろう。

 

その変化の度合いが目に入った景色のなかのニセモノと本物とでは違うのである。コレで見抜くことができるのである。

 

視点を固定したまま上半身を少し左右のどちらかに動かす、動き終わるまで視点をむけた物から視点を動かさない。すると、視点を置いて固定的に見ていた物は、自分の上半身の動きによって角度が変わると見える角度が変わるので見え方が変わるのだが、コレは当たり前である。

 

ところが、ニセモノはこの視界のなかで、見ている角度が変わればその場所までの見え方も変わるのに、見え方が変わる度合いが当たり前の度合いよりはるかに小さいのである。邪魔な日本人、邪魔な韓国人、邪魔な中国人、邪魔なイスラエル人、というわけである。なかには透明な残像を残すニセモノもある。コレらニセモノは、一点を絵描きのアーティストのように凝視しながら視点を変えたとき、"取り残されたように"見える角度が変わる度合いが小さいのである。

 

景色全体がニセモノである場合は、色を失う。色褪せる、ということもある。物質は太陽の光を反射し、人間はその反射光を見て色を判別する。赤に見えたら他の人も赤に見えているし、それならその物は赤色であろう、太陽の下の地上なら、というわけである。夜は照らさない限り真っ黒、ともなるわけである。

 

だが、視点を変えずに見る角度を変えただけ、ソレも一瞬だけ変えて元に戻るとしたら、その景色を照らす太陽光がそのように照らしていなければならないのに、そうでないのに色が褪せる。コレはなんの現象か?

 

簡単にいうと目の錯覚、幻覚、というものであろうからさして科学的に調べる必要はない。私もそうでなければ調査が困難だからそもそもそうならこのようなテストはしない。

 

幻覚なら幻覚を破れば良いのである。危険だとわかる筈だが、通常、幻覚を見たら危険なことが自分の身に迫っている、と感じるもの。そうてない人はかなり油断しすぎている。いきなりマーケットに銃を持った者が来て乱射を目の前ではじめてその銃口が自分に向いていても危険を感じることができず、なぜこんなことか起こるのか? •••などと考えてしまい射殺されることになる。ソレぐらい油断していると何もわからないだろう。普段から、日常的な変化に、である。実際、コロラド州でもそのような奇襲を受けた客がいたし、コロラド州は安全だと思っていたのに•••と嘆いていたが、このようなことは合衆国憲法第2条の法規の精神を忘れたトンテモナイ油断から生まれた失態であろう。コロナウイルス対策が進行していくうちに、自宅を襲撃される可能性が高くなったアメリカ合衆国では9ミリ口径のハンドガンがよく売れる商品の仲間入りをした。ウォールマークも販売したいがなかなか小売店のジャンルでは難しい昨今、銃の販売規模は縮小気味になっている。だが、何事も都合よく、である。危険さが増したとわかれば当然、売りまくれ、というよう「変化しつつ、銃の規制も必要だ、という具合に変えれば良く、さほどこの点については悩むところではない、と私はみている。だが、ゾンビが歩いていてたいへんな損害をアメリカ合衆国が受けている、となれば? コイツらは幻覚のゾンビなのか? 実在するゾンビなのか? 長江の上流の町で凍った川の上を息も白くならずに遊ぶ中年東洋人の女がYouTubeの動画に録画されてアップロードされて公開されていたが、そんな奴は人間ではないのであるからゾンビであろう。体温が5度、とか10度の人間はゾンビである。私の考えでは、だが。軍隊ではどう考えるのかは私は知らん。

 

このゾンビが1人でもいたらその国は滅びる、とわからないだろうか? ヨーロッパでの民話は滅びるからバケモノは退治しろ、とでも言いたげに読み取ることかできる民話があるが、コレは当たり前なのでは?

 

マイケル・ジャクソンのthrillerのミュージックムービーではまた違う意味でゾンビを描いていたのでコレは割愛して考えた方が良い。バケモノが詐欺師のオンナを食い尽くす、という正義の表現はバケモノではない人民からするとエンターテイメントの作品でしかないからである。

 

このバケモノは、見る角度を変えても視界のなかでその姿が見える角度が当たり前の変化にならない。マトリックス風の仕方で送信されている幻覚はこういう変化に弱そうだ、といえる。私の実体験では、だが。

さらに、色褪せる景色がある。見る角度をすばやく変えると残像と重なるなどの不審な見え方をして一瞬だけ色が褪せる。ニセモノの景色はこういう見え方をするのである。

さらに、まったく同じ姿だが透明な残像のような見え方をする姿を後方にひきづるようにしながら歩くニセモノの人間もいる。つまり、そこにはいない幻覚、または思考盗聴しながら歩く東洋人、という実際する犯罪者、という連中も見える。

 

コレだけ見ればニセモノを見抜いている、といえる。武道の達人はこのような幻覚を見せる技が忍術にあることを知っている人もいる。どうやつて幻覚を見せているのか?というと錯覚を起こさせる、という観点からダマシのテクニックがあり、ソレをあれこれ使う、と知っているのである。

 

たとえば、棒を地上に刺して敵との間の障害物にして布陣したとしよう。敵兵は棒が目に入るのでいつのまにかその棒が基準の一部、つまり五感のうちの1つ、視界情報になってしまう、コレをまず狙うのである。

 

敵兵がこの棒の向こうにいる人を銃で撃ったとする。すると、たしかに命中したように見えた、とする。そしてたしかに倒れた、だから狙撃して相手は倒れた、と見える。この見え方をダマシに使うのである。実は棒の向こうに布陣した際に、間合いを狂わせようとして動いている。撃たれる前に少しづつ動くのである。最初に立った場所から1メートル程度も。コレは技術力次第なので、下手ならもっと動いた距離は短くなるであろうけれども、とにかく動いても相手は見抜けないだろうから•••と動いて位置を気が付かれないように変えるのである。コレが忍術のなかにある幻覚術の1つである。

 

間違いなくこの忍者を撃った筈の銃口の角度は、実はいない場所へ向けて撃ったものになってしまう。アレ? とは思わない。中にはわざわざ血を衣服の中に仕込んでいて袋を破って流血する演技までする忍者もいたかもしれない。

 

タイヘン古い話で15世紀ならともかくいまは通用しない忍術である。科学的な学問を義務教育で受けた先進国の子供なら、子供の年齢であってもこの忍者に騙されることはないであろう。だが、事実、このやり方は効果があったらしいのである。オモシロイ、と思った人はサバイバルゲームの試合でやってみると良いだろう。

 

弾丸が外れたのに倒れて撃たれたフリをし、近づいて来たら・・・? ケースバイケースであろうがそこて勝とう、という戦略。こういうことなのであった。

 

この程度の研究は私は大学時代にとっくに少林寺拳法の修行の1つと定義してやっているのだが、コレは角度を変えてモノを見るといろいろ真実が反射光の効果を用いて見えてくる、という体験に通じていった。画家が鉛筆を立てて角度を正確に測りつつ、さまざまな色を同一のモデル役の人や物に見る、時間が経過したら色が変わるだろうが、ソレさえも想像して見切る。こうして、まあまあ静止画としては人を感動させるレベルの作品が完成したわあ、と絵描きは満足すれば、プローカーに販売するなりして儲け始める、と。こういう資本主義経過を辿って私たちは名作に出会えることになるのだが、よぉく絵を眺めて画家のプロフェッショナルなテクニックと良心を感じ取れるなら、そこまて感じ取って人生に役立てると良いだろう。敵国を見抜くことができるばかりか、バカにしつつ勝利することもできることがあるからである。