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ベンマン カラコラム モンゴル帝国の首都についての考え

カラコラム

はかなり変わった首都、と私は読んでいる途中だったが記事を書くことにした。他国の住人を人質にするつもりだったのか、フセイン政権のあった、湾岸戦争当時のイラクの首都バグダッドに他国の入国者を拘束して人質にした作戦を私に思い起こさせたのだが、本当のところはどうだったのだろうか?

 

歴史上、最も広大な陸の領土を持ったモンゴル帝国は13世紀にカラコラムを首都として建設した、とMr.ベンマンは考えてニュースのインタビューに答えている。

 

しかし、ソレはソレとして移住させた中国人や捕虜を首都に住まわせて、モンゴル人は首都の外に出て生活をしていた、と。

 

カラコラムは草原地帯に建設されている。モンゴルの諸民族は当時、勢力争いの結果、たしか3部族に分かれ、その後にチンギス・ハーンのいた部族に戦争によって統一されてモンゴル帝国が始まった、と。歴史の本で私は知った。いまのところ、この歴史本がガセ本だというハナシは私には届いていない。

 

草原地帯に首都を建設することで、当時、移動して生活、移動して侵略、という行動を政治や経済、軍事に関して基本的な行動、そして思考にしていたモンゴル人にとっては、13世紀において陸上最速の移動型兵器である馬を身近に置くことは、世界一の強さを持つ証拠、と考えていたのかもしれない。ソレなら首都の外で馬を移動可能な彼らの家の側につないで戦闘訓練をしたり、狩猟をすることは当たり前のこととモンゴル帝国では定義されていたのだろうナー と私は考えた。

 

その後、モンゴル人たちは中国人化してしまって、エロヒムという実在していた仙人を神と考える、と歴代の中国王朝で密かに伝えられていた事柄をも含めてモンゴル帝国は元の国を建設するハメになってしまった。首都に住まわせた中国人の陰謀かもしれんね。13世紀のモンゴル人の中国人化は。

 

モンゴル帝国はモスクワを商売が上手いという理由で存続を認めた。また、侵略地の文化を破壊しない方針で統治するモンゴル帝国は、侵略に最適な国家形態を維持して東ヨーロッパ諸国、そしてフランスの内部、たしか私が覚えているかぎりだとセーヌ川まで侵略したのである。

 

そこならイギリスまでは侵略していたらどうなったか? エロヒム、またはその末裔を神とする軍隊になる前のモンゴルは、渡海作戦がわからないため、グレートブリテン島までは行けなかったのではないか? と私は考えている。つまり、スペイン、ポルトガルまでは侵略された可能性は高い、という考えを私は持っているのである。ビレネー山脈をどのように攻略したのか? コレは源義経が大将となって四国を攻めた時と同じ戦法かな? と私は想像した。馬は山を登っていくこともできるが、急な崖でも降りることができる、と。

 

アルプス山脈などもその発想て馬ごと気温が高い夏の間に越えよう、と。そのように当時のモンゴル軍の大将・・・たしかチンギス・ハーンの子供たち・・・は考えたのではないか? と。

 

モンゴル軍は、とにかく西洋では考えられないほど残虐だった、とドイツの騎士団は伝えていなかっただろうか? 人間とは思えないほど速く、大勢で、一騎打ちの名乗りも上げず、馬に乗って殺到して殺しまわり、敵軍を敗走させると今度は武装していない住人たちを同じような攻撃方法で殺しまわった、と。

 

モンゴルの兵士はよく統率されていた、とドイツの騎士団は伝えていたのではなかっただろうか? たとえば、レイプや強奪、放火などの侵略行為は、侵略するためには余計な軍事行動、と考えていたようだ、とか。私はよく覚えていないのだが、たしかそのような記録があった、という歴史書を読んだ、と記憶している。

 

コレは、女を略奪するなどの行為に明け暮れたモンゴル人たちにとっては新しい習慣だったようである。とにかく侵略して領土を広げよう、という、1日もはやく大陸を侵略しよう、という・・・。ソレがモンゴル軍の基本戦略だったのではないか?

 

この基本戦略は、中国人化する前のモンゴル軍の総大将だったチンギス・ハーンの性格によるものだったらしい。テムヂンという名の幼名を持つ彼は、単純な性格をして生まれて、一方の部族の長として育てられたために、戦争に明け暮れるモンゴル民族の間でも珍しいくらい、欲望にとらわれない性格になった、と。わかりやすくいうと、食欲も性欲も少なく、衝動を抑えられないが聖人的で欲望に負けた、と自分を反省して自虐に近い生活しか送らなければ反省ふることはなくなる、と考える性格だった、と。つまり、遊びは知らなくはないが、贅沢な生活をする欲望が弱い性格だった、と。私はテムヂン(テムジンとも書くが発音は同じ)について考えている。

 

コレを客観的にいえば、チンギス・ハーンは純粋な殺戮ロボット、という説明になっていく人物評価、となる。殺戮したいから殺戮するのではないが、殺戮をして部族を強力にして、統一した他の部族に負けないようにはしておかないとダメだ、と考えるにとどまる世界観から殺戮を続ける戦争人生を選んだ、と。

 

すると、他国はモンゴルほどの強い武器として移動不可能なものしか持っていない、と経験から知ったのではないか? 先祖が苦しめられた時代は終わった、とチンギス・ハーンは考えたのではないか? なぜか、大王と名乗り始めてからは、ちょっとのパワーで斬っただけで大袈裟に斬られる他国の軍人ばかりになった、とかそういう体験がチンギス・ハーンの戦争に対する戦略を単純に、しかし、極めて速く成功するように変えたのではないか?

 

・・・この変化に神秘や陰謀、仙人だあ神だあ、という要素は不要かな? と私はみている。たぶん、彼は鍛え抜いた人だけが持つ体型になったのだ、と。特にそのような体型に変えるための特訓をせずに、である。乗馬して騎馬兵になった時のモンゴル人はそもそも強い、または他国は遅すぎて弱い、と知って、チンギス・ハーン流の騎馬戦闘を自軍に強いた、そして、その結果、チンギス・ハーンのように戦うことができるモンゴル兵が増えた、と。このあたりでチンギス・ハーンは崇められ始めたのかもしれない。とにかく、言うことをきいていれば、狩りも成功するし、狩った肉の量も多くなる。まずいモノばかり、同じモノばかり食べてきた貧しいモンゴル人からすれば、チンギス・ハーンは理想的なリーダーに見えるようになった、と。

 

騎馬戦闘は移動距離がかつてないほど長くなる。補給は現地調達。邪魔する者は先にすべて殺戮する。残った占領地の住人には彼らが慣れている生活様式をさせて、モンゴル人たちに観察の機会に変えて、さらなる殺戮術の強化などに使い、奴隷のようには扱わず、捕虜として部分的な自由や意思決定を認めて、彼ら自身は客の立場、つまり、主人が外、客人は主人の家の中でもてなす、というモンゴル流を貫くが、目的は、自由にさせて弱みを観察すること。人種が違うのでどのように攻撃するべきかがわからないので、そうしていた、と。反逆されれば即座に処刑。馬で特攻すれば簡単に叛意を持った者とみなした者を殺すことができるから、占領地においては敵がいない、という王様状態。

 

コレを繰り返すだけで、かなりの範囲に通じる騎馬戦闘術を強化のうえにではあるが身につけた、と。軍団ごと強化に成功、と。

 

あとは、最も速く、次に速い者より強いモンゴル軍が、チンギス・ハーンが陣中で死んでも遺言にしたがって三軍にわかれるなどまでして徹底的な殺戮による侵略、降伏したら観察のための自由、厳しい野外にいても主人の立場なら当たり前、と考えるので苦にもならない。ソレばかりか馬のそばにいられるので楽なのであろう。

 

こうして中央ヨーロッパまで侵略したモンゴルは、分裂しながらも統治はモンゴル主権で続けた、と。そのうち、元が建国されて日本にも攻め込んだが、北方から中国人化して弱体化した脅しばかりのモンゴルの元軍は敗退し、東への侵略は失敗。軍費がかさんで衰退することになった、と。その後、南の中国人たちの軍勢によってモンゴルの元は中国大陸からモンゴル草原まで追い払われて、その後、かなり長く続く、と。

 

モスクワ公国は商売がうまかったから生存をモンゴル帝国から許された、と簡単に書いたが先頭によってそのようにされた、ということ。

 

なぜ、チンギス・ハーンは戦闘によって鍛えられたのだろうか? 何にも考えていなかった若造がジュムカ(だっけ?)の部族と戦って勝った時には、単に奪われた自分の妻を奪い返すためという大義名分であった。難しいことは誰も知らないのであった。かといって、とらえた中国人の陰謀に弱すぎた、わけではなかった。戦闘から得た体験に基づく処世術しか知らないので、戦士としてのみの思考で陰謀を企まれても

ウザい

と思わせる彼ら中国人のストーカーのような、モスクワ公国のビジネスマンのような叛意をもたないビジネスの流儀でもない中国人たちは、しつこいから

ウザい

と思われるのであろうけれども、次々に簡単に殺されて、とうとうチンギス・ハーンに近づこうとしなくなった、と。そのようになるまでせいぜい1週間から1年程度ではなかったか? とにかく、首都に閉じ込めて、自分達は昔のとおりに草原に住むわけだから、とらえた中国人には会わないで済むわけであるからである。

 

ウザいからすぐに殺す、というチンギス・ハーンの行動は、テムヂンの頃の性格に合わない行動である。自分の子供を簡単に殺してしまうことはさすがになかったが、ジュチ(矢という意味を持つ)を戦闘で失敗したから、という理由で何回も失敗した後に殺してしまい、後継を殺すとはなんだオマエは! と妻に正しく罵倒されたのだが、テムジンの頃の性格をハーンになっても維持していたら、たぶん、自殺したのではないだろうか? こんな大きな戦闘なのに、自分の子が負けた・・・という理由で。

 

この残虐なモンゴルは、ちょうど東洋で自分の人生だけを豊かにするのは間違いだから、社会の真理を発見しよう、という方向の思想が流行っていた頃である。座禅していれば立派な修行だ、という坊主の習慣も始まっていた頃である。武術が盛んな嵩山少林寺では昔からの哲学であり、達磨がインドから持ち込んだ行動の哲学を武術の稽古と並んで学んでいた頃である。

 

この頃から、エロヒムまたはエロヒムの末裔にあたる仙人が天罰と称して天変地異を起こすぞ、と脅迫を中国人に対して行い、新たに勃興した思想の盛り上がりというムーブは

オレの教えだから!

と無理なことを言い出して納得させて、支配を政治面から人民に浸透させてデタラメなファシズム中国へ、つまり帝政を敷いてブイブイ言わせていた頃である。

 

こうして、何を考え出してもぜんぶエロヒムまたはエロヒムの末裔の仙人一族のために盗まれて改ざんされて流布されて洗脳されて帝政中国は続いた頃、隋からかわらんわあ、とバカにされて、元になっても北条氏にバカにされて追い払われて、戦争になれば天変地異の一つ、台風で元と当時の韓国海軍は海の藻屑となって敗退、エロヒムまたはエロヒムの末裔がヨーロッパに出ていった16世紀、豊臣秀吉の軍隊に攻撃されたがコレを退けて領土を守り、どうせ戻ってくる筈のバカ仙人の一族に備えるという新しい中国王朝の秘密を新たな仙人を選び出してコレに持たせて従わせて、初の仙人超えを果たした、と。そのような時代になっても、弱体化したモンゴル帝国の方が強かった、と。

 

このような東洋では、バカをバカにするための工作が最高の軍略である、という間違いが定着するようになり、戦争は主として詐欺師に従う三国志の時代に逆戻りしたかのような計略・・・というか脅し・・・が主で戦闘は渋、という戦わずして勝つ、このようなバカげた軍事思想に染まっていくことになる。日清戦争では脅したら報復されて負け、その前のアヘン戦争でもバカにされて負け、その前は衰退、停滞を繰り返す沈没時代、となった中国大陸は、日中戦争で最新の軍事より経済を尊ぶ方向へ、そして詐欺師主体の共産主義者との内戦で敗退し、衰退と停滞を繰り返すとバカ仙人に天変地異で滅ぼされることになる共産党のメンバーが勢力を高めて今日に至っている、と。

 

これまでモンゴル民族は何を狙って国を守ってきたか? そんなことは国連と英米にきかないとわからんのだが、伝統を守れば生き残る、というパワーが空白気味の地域だからノホホンと呑気でいられるのかな? と思われても仕方がないほど、つまり、インドやベトナムと比較すると平和的な平和を送っていた、という具合。つまり、謎はないのでときどきモンゴル帝国のネタで注目される程度の民族になっている、という具合。たぶん、中国から共産主義者が逃げてくるので、旗を振ったりしているヘンな人たちとともにいる筈の仙人をエロヒムかもしれない、とみて逮捕することに忙しいモンゴルに変わる筈で、その時になれば、当然、馬。モンゴル相撲。コレらはステキなのである。モンゴルのステキは残っている。謎はあんまり残っていない。

 

つまり、ハリウッドはモンゴル帝国ネタはアートニュースだ、と断定して映画ネタではないっと決めており、だからアートニュースコーナーでモンゴルの首都はなんか奇妙だ、と。まあコレぐらい平和だし、行けばわかるが首都はかなり先進的。ビルとかで、と。こういう具合のモンゴルだ、とわかれば足りる。ということなので、なかなか終わらないのだが、なんか天変地異と戦うモンゴル兵、とかハナシはないかね?

 

なんとなく、終わりづらい国、ソレはモンゴル国では? なかなか終わりにならない。なんか終わりづらいネタだわあ(*'ω'*)

 

かな? 終わり。